鍼治療の初体験


痔出血で貧血になった。

外科で手術した知人は言う。
「あの痛さは男でも泣くよ」       

物知りのかたは
「お灸が効くんだよ」

藁をもつかむ気持ちで治療院に行った。

「これは鍼のほうがいいですね」
「えっつ ハリ? ですか?
 お灸が効くって聞いたんですけど〜」

針なんて恐ろしい、考えても見なかったこと、
もう断って帰えろう。
 じゃあまた参ります・・・・・
 明日参ります・・・・・
ついに言い出すきっかけを失って、
細いベッドに乗ってしまった。

ベッドにうつぶせになり,目をつぶる。
「まな板の上の鯉」のせつなさが私自身のものとなる。

ラジオが聞こえる。
恐怖を直視出来なくて、縋るように別世界
の声に気持ちを集中させる。

臨時ニュースが入ってきた。

「台湾の沖で日本の飛行機が落ちた。
女性作家のk・Mさんが乗っていた模様」

敗戦前後の庶民の生活をしみじみと描いたドラマを見たことがある,向田邦子という作家だと、とっさに思った。
ドラマの中に入ってしまいそうに共感を持ってみていた。
あんな作品がもう見られなくなるのだ。
残念だなあと心から思った。

まだはっきり名前も放送していないのに。

後でそうだと分かった。
神経を集中して聞くと分かる事があるのかもしれない。


後で考えるとおかしいのだが、
あの時は真剣だった。

あんな、たいした人だって、事故に遭えば亡くなって
しまうんだ。

”はり”は怖いけど、死ぬよりはマシ。
痛くて血が出ても死ぬ事は無いだろう。
ここ、いっとき我慢してしのごう。
もう、これっきり,これっきり。

自分が希望してきたのだから、来るのはやめても
誰にも迷惑はかからないんだ。


もし,ベッドに草が生えていたら、
両手でしっかり掴んでしがみ付いていただろう。

先生はやさしく話し掛けて下さっていた。
刺されているのか、抜かれているのか、
何も分からず、渾身の力で耐えつづけた。
終わったときには、全身へとへとになっていた。

自転車できたのに、くたくたに疲れて自転車に乗れず、
しがみ付いてよたよた歩いて帰ってきた。
”綿のように疲れて”


貧血で体力が弱り、病気がちになった方が良いか?
食べれば出さなければならない。
そのたびに苦痛を味わいたいか?
二六時中、心配して居たいか?
働けなくなったら,家族はどうなるか?


先生は「3ヶ月通ってください」と言われた。
1日おきの3ヶ月だ。


お灸と思って行ったから、緊張した。
手術では”男も泣く”と言うが、
私は泣かなかった。


治療を続ける決心をした。
どうしても治したい!

1日おきに通院した。

2回目は、あの疲れ方はなんだったのかと、
嘘のように、楽になった。
無知ゆえの恐怖で疲れたのだ。

うつ伏せなので、針は見えない。
腰のあたりを毎回丁寧に,針をして下さる.
刺されるのは分からない。先生の手の感触だけ。
時々、ピリッとする。刺されているな、と分かる。
ちょっといやな感じ。
でもこれで治るならいくらでも我慢できる。
回を追うごとに、ピりッが減っていく。

10回目の治療のとき、気持ちが良くて、
ウトウト居眠りをしてしまった.

「もうおしまいですか?」
この変わりようは何だ。

先生は「うっ血がとてもひどかったので、
痛かったのでしょう。うっ血が減ってきたので、
気持ちよく感じるのですよ。
ずいぶん良くなりましたよ」


先生は小学生のころ、先天性白内障で
10回以上も手術をされた。
ご両親が手を尽くされたが、視力を失われた。

笑顔できちんと向いてお話をされる。
優しくて、患者を治す事に真剣である。
話題が豊富で、物知り。
病気の話も良く聞いてくださる。
アマチュア無線の趣味もお持ちだ。

痔が悪いくらいでなんてだらしない。
頼ってばかりでは恥ずかしい。
しっかりしなければと、

痔の治療だけでなく、気持ちの治療も受けた.

仕事の都合で1ヵ月半で通院は終わった。
最後まで肛門には、針は刺されなかった。

冷え性で寒がりだったが、その後3年間くらいは、
寒さが身にしみなくなった。懐炉が要らなくなった。

出血もなくなり、貧血も収まった。
バリバリ働けるようになった。

            めでたし めでたし
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